でもリサにとってふじこさんとの出会いはすごく大事なものだった。リサを対等に扱ってくれたから。
大島氏ならではの、大人なのに大人らしくないふじこさんは、まあまあ素敵だった。
でも今ひとつ、だったんだよな〜。リサの親を嫌いになる(実際には好きでも嫌いでもない、一番悲しい距離)描写なんて、少女の心のうちをよく分かってるな〜と。
リサとふじこさんの突然の別れからいきなり再会(実際はふじこさん本人じゃないけど)するまで、その間の十数年がないのは無駄がないけど、寂しい物語だった気がする。
「夕暮れカメラ」は同級生のおばあちゃんとは知らずに、遺影の撮影をしていた小椋。まさか自分のおばあちゃんが同級生に遺影を撮影させてるなんて思いもしなかった藤岡君。
ぼけてると家族からは思われてたけど、実際は寂しさでいっぱいの心を抱えてたおばあちゃん。誰も口にしなかったけど、実は家族がそれぞれ無理に役割を演じてたんじゃないかな、それ分かってたから、おばあちゃんは家を燃やそうとしたのかな。考えてみればこれもまた寂しい話だった。
小椋さんと藤岡君はその後どうなったんだろう?かみ合わない二人の会話だから、小椋さんが藤岡君を好きになることはないか。
「春の手品師」は、すんません。ちょっと理解できませんでした。疲れてたせいもあるけど、これもまた家族で孤独を抱えてる女の子の寂しいお話なのかな、ってだけで。
結局「ふじこさん」は全部寂しい話だった?


人って、その時心に響く距離、っていうのがあるのかもしれません。遠くにいるから恋しかったら、懐かしかったり・・。また、近くにいるから大事なことに気づかなかったり。この物語って、ふっとその時に、距離感のピントがあった人との関係なのかもしれません。だから、その時だけ。
でも、その一瞬が大事だったり。人間って、面白いですね。
たまたま出会ったなにかにそれを投影させているような
そこはかとなく寂しくて哀しくて切ない物語でした。
少女自身が自覚していないような心の中が絶妙に描かれていましたね。
「夕暮れカメラ」の情景はとてもよかったと思います。
「春の手品師」に関しては、同じ意見です。
そのまま幻のままでも良かったような…(汗)
いいすぎ??
確かに、私今寂しいのかもしれないです。
なにをやっても自分と意図と違う方に流れていったりすることが多くて、人と接することの大変さを痛感しているので、どれを読んでも寂しかったのかも。基本的には一人でいることが平気で、むしろ好きなんですけどね〜〜。(涙)
ふらっとさんへ
大島作品の女の子は、どうしていつも身の置き所を探してるのでしょうかね。いつも自分の居場所がなかったり、なにか違う、と感じてる女の子ばかり。いつもならそれが心地いいのに、「ふじこさん」はなんだか寂しかったです。
ゆうさんへ
ふじこさんは魅力のある女性でしたよね。リサと別れてからの十数年間、見てみたいです。イタリアでどんな風に頑張ってきたのか。
リサのパパは、魅力なかったな〜〜。(爆)
しんちゃんへ
なぜゆえに幻になっちゃったんですか?
でもよく分からなかったですね、これを書いた当時の大島さんの状態が心配でした。(爆)
大島さんの少女時代が、ちょっと気になってきました。(苦笑)
でもいつも居場所がなくて探してる女の子が多いですけど、嫌いじゃないんですよ、普段は。
おばあちゃんの気持ちはちょっとわかります。清潔で幸せな家庭なんてのは苦手なので。
パパ、ちっともいいところなんか感じられなかったんですけど・・・ふじこさんはどこがよかったんでしょう。リサと比べれば大人だけど、ふじこさんだってまだまだ若いこれからの女性で、そう思うと、ちょっと可哀相だったんですよね。
《》結局「ふじこさん」は全部寂しい話だった?《》
長嶋有さんの原作【サイドカーに犬】という映画を見たのですが、設定が似てるのに驚きました。一人の女性として成長するときに、ちょっと対岸の生きかたをしている人が影響を与えるのか。心のあり方にゆとりが?現実的には、寂しい話ですが、文学的・小説的にはいいんでしょうね。
ふじこさんは、自分自身にパワーがない時に読むと寂しくなっちゃうのかもしれません。ふじこさんと別れてからの、二人の間に流れた時間が書かれてないだけに切なくて・・・。
「サイドカーに犬」は知らないんですけど、似てるんですか。