2011年02月07日

TSUNAMI 津波 高嶋哲夫著。

≪★★☆≫

東海地震予知情報が発令された。その時、ビーチでは海水浴客が賑わい、サーフィン大会やコンサートが準備され、市役所の防災課職員が声高に叫ぶ中、誰しもが半信半疑だった。
予想に反して規模が小さかったため、自分たちの予定や楽しみが中止された苛立ちを募らせていた。
ところがその直後、東南海地震、南海地震と、三つの地震が連続して起きてしまった。
そして、巨大な大津波が太平洋沿岸を襲う。

耐震構造になっていたはずの名古屋オーシャン・ビューの建築主の大久保は、落成式で自身のビルが多くの犠牲者を飲み込みながら崩れ落ちる中、命からがら脱出する。
原子力発電所では、現場を知らない上の者たちの突き上げにより、安全装置を解除していたところに東南海地震、南海地震と襲われ、放射能漏れを起してしまった。
タンカー爆発を防ぐため、アメリカ空母に乗り込んでいた日本の自衛官は、ヘリからタンカーに乗り込む。

自然災害の前には、人間はどうすることもできない。防ぐことができないのなら、せめて災害後に備えるしかないのか。

迫力あった。誰かだけに感情移入するのではなく、その時、そこにいた人はどうしたのか、と淡々と進められ、容赦なく犠牲になっていくところに、怖さを感じた。
災害は、特別な誰かだけに起こるのではなく、犠牲者も特別な誰かではない。誰もが平等にその可能性を持っている。

いつか来る、と心の底で怯えながら、でもそれは今じゃないと、無理矢理恐怖に蓋をしている。
ちょうど読んでいる時に地震があって、かなりびびりました。

小説では首相も犠牲になって、自衛隊員や発電所職員と甘くなかったのに、市役所職員の恋人が都合よく救助されて、そこだけハッピーなの?って思っちゃったけどね。

posted by じゃじゃまま at 15:05| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 た行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月30日

ポトスライムの舟 津村記久子著。

≪★★★≫

前の職場でいろいろあったアラ・サーの女性、ナガセが、工場と大学時代の友人のお店と、カルチャースクールでパソコンの講師と、仕事を掛け持ちしながら、自分の工場での一年間の収入と、職場に貼られていた世界一周のクルージングの旅費が同額であることに気付き、ふと友人のヨシカに「これって重いの?軽いの?」と問う。

「軽くはないと思う」。それがヨシカの答え。

淡々と日々を過ごし、3つも仕事掛け持ちして、すごく大きな変化や出来事もないけど、でもどこか心打たれる。
ヨシカのお店を手伝いながら、同じく大学時代の友人が離婚のために子連れでナガセの家に居候したり、ママ友や姑の愚痴ばかり専業主婦の友人とヨシカがうまくいってなかったりと、そんなに大きな事件ではないけど、でもその淡々さが、実はすごい生命力だなって思う。

途中、ポトスライムという植物がよく出てくるけど、その葉っぱをどうやって食べようかと思い悩むナガセのパワーも、そういうことに自分の時間を費やすのって、結構私もあるかも。
そういうなんでもないようなことを描き出した小説。

私はあんまり、女性の日常を淡々と描いた小説って読まないから、どこがどういいとかよく分からないけど、ある意味新鮮だった。
少なくとも、仕事を毎日続けるってことだって、普通のことのように書いてたけど、実はすごくパワーのいることなんだよね。

同時収録の「十二月の窓辺」
高卒ばかりの社員がいる職場に、大卒の主人公が、同僚や上司に苛め抜かれて、辞める勇気さえ持てずに、でもようやく、世界は自分が思っているよりも広いんだ、ってことに気付く物語。
正直、どんより、イライラした、この主人公。
もちろんうまく立ち回れないからこそ苛められるんだろうけど、すべてを責任転嫁してる気がして。
でもそのくせ、こういう人もいるんだから、頑張ろうって気にもなる。


posted by じゃじゃまま at 17:29| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 た行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月31日

余命 谷村志穂著。

≪★★☆≫
自分の中に新しい命を感じた時、忘れたいと思っていた病気の再発を確信した。医師としての自分よりも、患者としての自分よりも、まずこの命をこの世に送り出したい。
愛する夫にも同僚医師にも隠し、崩れ落ちそうになりながらも、夫をわざと遠ざけ、出産の日を迎えた滴。
そんな滴の身勝手さにどうしても共感できず、作品にのめりこむことができなかった。

なによりも、作品中の滴と、映画の予告で見てしまった松雪泰子がどうしてもかぶらず、それくらい松雪さんはきれいなんだよね。

余命が限りあるものならば、残された者たちのことを考える時、滴のとった行動は理解できないんだよね。
我が子のそばにできるだけいてあげたい、子どもの成長をそばで見てあげられない悔しさ、親のいない寂しさ、いろんなこと考えると、自分の余命を延ばすことをやはり考えたいよね。
同僚の保井医師が言っていたように、他にも方法はあったはずで、私も一人の親として、滴の行動は理解も共感もできず。

もっと親としての心の叫びの内容かと思っていたので、ちょっと肩透かし。



posted by じゃじゃまま at 22:49| ☀| Comment(3) | TrackBack(1) | その他 た行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月03日

光とともに・・・9巻 戸部けいこ著。

すっかり忘れてて9巻を今頃。もう10巻出てるんだっけ?
なかなか正しい理解をされない自閉症。子どもによって状態や症状が違うから確かに誤解なくきちんと分かろう!というのは、身内や身近にいないと難しいかも。

といいつつ、作中に出てくるまったく見当はずれなこと言ってる教師や周囲に腹を立てたりしてるんだけどね。でもそういう自分も見当はずれなこと言う人たちとわりと近い位置にいたりするんだよね。
今回は新任の赤松先生。知識はあるけど理解はしていないから一番厄介。分かったつもりっていうのがね〜。どうやら前の学校でもなにかトラぶったらしいし、その赤松先生が自閉症の子たちを担当するっていうのは当人も親たちも辛いだけだよ。

そして、学習障害に多動障害、共に躾の問題や本人の努力と誤解されがちだし、かといってなんでも障害のせいにもできないような場合もあるし。
ただ行儀の悪い子を「多動なんじゃない?」といって一括りにするのもどうかと思うし。
もっともっとみんなが自分や身近な問題として学んでいかないといけないね。
前向きなお母さんと、見守る周囲の人々にいつも感動します。



posted by じゃじゃまま at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 た行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月04日

愛のあとにくるもの 辻仁成著。

やっぱり韓国作家よりも辻版の方がいいですね!
読みやすかったし、分かりやすかった。韓国作家の方は、表現の感覚の違いなのか、翻訳のせいなのか、どうもまわりくどくて、紅がいかに潤吾が好きでも、身勝手な女の言い分にしか聞こえなくて。

それよりも辻版の方は、潤吾がいかに紅のことを大事に思っていたか、ずっとずっとどれほど思い続けて生きてきたかが日本語で分かりやすく、今回は辻氏よかったです。

でもやっぱり両方が優れていて初めて一つになる物語だと思うんですね。
「冷静と情熱のあいだ」は、確かに私は江國氏のファンだし、完璧な江國ワールドで、それに比べてしまうと辻版は少し薄れてたけど、それでも二つとも完璧に一つになっていたけど、どうも「愛のあとにくるもの」は、確かに紅と潤吾は両思いなのだけど、思いの真っ直ぐさが微妙に違う気がします。

紅は、潤吾への思いを熱く熱く正面からぶつけてる。そして別れた後は、急に地球が氷河期になってしまったくらいに固く冷たく閉ざしちゃう。
潤吾は、ひたすら紅だけを思い続ける。別れた後も、それはより一層。二人とも思い続けるのは同じでも、紅はそれを抑えようとする、潤吾は、紅に届けようとする。
多分、私が紅のような女性を好きじゃないからだと思うけど、すごく冷たい女性のように思えてしまう。私がもし潤吾なら、国境を越えての恋愛は多分できないと思う。

posted by じゃじゃまま at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 た行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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