東海地震予知情報が発令された。その時、ビーチでは海水浴客が賑わい、サーフィン大会やコンサートが準備され、市役所の防災課職員が声高に叫ぶ中、誰しもが半信半疑だった。
予想に反して規模が小さかったため、自分たちの予定や楽しみが中止された苛立ちを募らせていた。
ところがその直後、東南海地震、南海地震と、三つの地震が連続して起きてしまった。
そして、巨大な大津波が太平洋沿岸を襲う。
耐震構造になっていたはずの名古屋オーシャン・ビューの建築主の大久保は、落成式で自身のビルが多くの犠牲者を飲み込みながら崩れ落ちる中、命からがら脱出する。
原子力発電所では、現場を知らない上の者たちの突き上げにより、安全装置を解除していたところに東南海地震、南海地震と襲われ、放射能漏れを起してしまった。
タンカー爆発を防ぐため、アメリカ空母に乗り込んでいた日本の自衛官は、ヘリからタンカーに乗り込む。
自然災害の前には、人間はどうすることもできない。防ぐことができないのなら、せめて災害後に備えるしかないのか。
迫力あった。誰かだけに感情移入するのではなく、その時、そこにいた人はどうしたのか、と淡々と進められ、容赦なく犠牲になっていくところに、怖さを感じた。
災害は、特別な誰かだけに起こるのではなく、犠牲者も特別な誰かではない。誰もが平等にその可能性を持っている。
いつか来る、と心の底で怯えながら、でもそれは今じゃないと、無理矢理恐怖に蓋をしている。
ちょうど読んでいる時に地震があって、かなりびびりました。
小説では首相も犠牲になって、自衛隊員や発電所職員と甘くなかったのに、市役所職員の恋人が都合よく救助されて、そこだけハッピーなの?って思っちゃったけどね。